凱旋門賞に出走した日本馬一覧 過去最高成績はエルコンドルパサー、オルフェーヴル、ナカヤマフェスタの2着
高橋楓
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スピードシンボリから始まった物語 エルコンドルパサーが栄光を掴みかけた1999年
あえてこの言葉を使いたい。「日本競馬の悲願」と。
時代が変化し、今では世界のどこにでも遠征できるようになった。ドバイ、香港、アメリカ、そして欧州。それぞれ馬の特徴も多様化し、目指すべきレースも変わってきている。それでも「凱旋門賞」だけはどこか胸の奥に秘めた特別な思いがある。
私が社会人になる前に熱中した、とある競馬ゲームの最大目標が凱旋門賞だったこともあるかもしれない。またはエルコンドルパサーとモンジューの叩き合いに絶叫したからだろうか。人それぞれ思いは違えど、今回は日本競馬の悲願ともいえる凱旋門賞を特集してみたい。
さっそく、凱旋門賞に出走した日本馬の歴史を振り返ってみたい。まずは初挑戦から2008年まで。
1969年 スピードシンボリ 着外
1972年 メジロムサシ 18着
1986年 シリウスシンボリ 14着
1999年 エルコンドルパサー 2着
2002年 マンハッタンカフェ 13着
2004年 タップダンスシチー 17着
2006年 ディープインパクト 失格(3位入線)
2008年 メイショウサムソン 10着
日本馬として初めて凱旋門賞に挑戦したのはスピードシンボリ。当時、11着以下は公式記録が残らなかったため、成績は着外となっている。それから30年の月日が流れ、エルコンドルパサーが2着に好走する。
前年にシーキングザパール、タイキシャトルがフランスでGⅠを制しており、日本調教馬に勢いを感じていた時代だ。凱旋門賞に標準を合わせ、長期遠征を敢行したエルコンドルパサー。イスパーン賞2着の後、サンクルー大賞とフォワ賞を連勝。特にサンクルー大賞のメンバーは非常に豪華だった。
前年の凱旋門賞馬サガミックス。前年の欧州年度代表馬でフランスダービー、アイリッシュダービーの勝ち馬ドリームウェル。他にもドイツ年度代表馬タイガーヒルやドイチェスダービー馬でブリーダーズカップターフ2着のボルジア。このメンバー相手に先頭を見る位置で正攻法の競馬をし、2着に2馬身半つけて快勝したのだ。期待は高まるばかりだった。
1999年10月3日。凱旋門賞当日。出走馬14頭中9頭がGⅠホースという豪華な顔ぶれだった。前日までにかなりの雨が降り、ただでさえ日本馬にとって異質なロンシャン競馬場の馬場はより走りづらい状態になっていた。しかし、すでに2度ロンシャンを走っているエルコンドルパサーに不安はなかった。
ゲートが開く。他陣営のペースメーカーを気にすることなく、エルコンドルパサーは自分のリズムで逃げる競馬を選択。直線に入っても後続に2馬身のリードをつけてラスト200m。凱旋門賞制覇が一歩一歩近づくなか、その年のアイリッシュダービー馬で7戦6勝の3歳馬モンジューが突っ込んできた。
大勢は決した。3着に6馬身差をつけたが栄光には半馬身届かなかった。国内で「マル外」という肩書を背負っていたエルコンドルパサーに、日本の全競馬ファンが「日本代表」としてエールを送った1日だった。
ナカヤマフェスタがみせた勝負根性! オルフェーヴルに夢を託した2年間!
次に2010年から2014年までの5年間を振り返ってみよう。
2010年 ナカヤマフェスタ 2着・ヴィクトワールピサ 7着
2011年 ヒルノダムール 10着・ナカヤマフェスタ 11着
2012年 オルフェーヴル 2着・アヴェンティ―ノ17着
2013年 オルフェーヴル 2着・キズナ4着
2014年 ハープスター 6着・ジャスタウェイ8着・ゴールドシップ 14着
2006年のディープインパクトが3着(のちに失格)だった時の脱力感は今でも忘れられない。「日本近代競馬の結晶」とまで言われた名馬が勝てなかったのだから、その虚無感はその後も続いていた。2010年は皐月賞を制し日本ダービー3着、前哨戦のニエル賞4着のヴィクトワールピサ。そしてメトロポリンタンSから宝塚記念を連勝し、フォワ賞2着のナカヤマフェスタが挑戦した。
正直に言おう。パドックすら見ていなかった。レースが始まる数分前にアラームをセットし、ぼんやりとレースを待っていた。エルコンドルパサー以降、菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)とGⅠを3連勝していたマンハッタンカフェが13着、前年にジャパンカップを9馬身差で圧勝し宝塚記念を快勝して臨んだタップダンスシチーが17着、ディープインパクトの失格を挟み、いかにも欧州血統でGⅠを4勝しているメイショウサムソンが10着。再び高い壁に阻まれている時期でもあった。
レースが始まると中団にヴィクトワールピサ、真後ろにナカヤマフェスタがつける。この辺りから目が覚めてきた。フォルスストレートでナカヤマフェスタが好位置をキープしているではないか。あぁ、そうだ。二ノ宮厩舎と蛯名正義騎手と言えばエルコンドルパサーの時のコンビではないか。ふと記憶が蘇り、手のひらから汗がではじめる。
ラスト300m。先頭争いが絞られはじめ、残り200mではワークフォースと一騎打ちの様相となった。ラスト100mでも怯むことなく、残り50mで再び伸びるではないか。頼む、交わしてくれ。深夜のテレビの前で大絶叫していた。しかし、アタマ差届かなった。
それから2年後、同じ様に声をからしながらテレビにかじりつくことになる。オルフェーヴルが夢を掴みかけた瞬間だ。前年の三冠馬であり、当時の日本最強馬と言っても過言ではなかった。
2012年10月7日。スミヨン騎手との2度目のコンビとなったオルフェーヴルは終始後方2番手を追走する。まるでいつもの末脚さえ発揮できれば問題ないと言わんばかりのレース運びである。ラスト530mの直線に入り大外に持ち出されると、一気に加速。ラスト300mで先頭に躍り出ると、200m地点では後続を引き離す。まるで、父ステイゴールドが引退レースで見せた様な鋭い末脚。勝った。誰しもがそう思ったはずだ。
しかし、この物語はハッピーエンドで終わらなかった。内ラチへ向かい徐々に斜行し、トップスピードを失ってしまったのだ。結果は盛り返してきたソレミアに差し返され無念の2着。日本中からため息がこぼれた。競馬にタラレバは禁物だ。ただ、あの一瞬だけはほんのもう少しの運さえあれば、と何度も考えてしまった。
翌年の2013年は4戦無敗のフランスオークス馬トレヴに5馬身差をつけられ完敗。しかしこの2年間、オルフェーヴルからは日本馬の凱旋門賞制覇は決して遠い未来ではない。そう大きな希望をもらった。
欧州の芝を攻略するのはどの馬だ!? 悲願達成の瞬間を夢見て
2016年以降は日本馬にとって厳しい時期が続いている。
2016年 マカヒキ 14着
2017年 サトノダイヤモンド 15着・サトノノブレス 16着
2018年 クリンチャー 17着
2019年 キセキ 7着・ブラストワンピース11着・フィエールマン 12着
2020年 ディアドラ 8着
2021年 クロノジェネシス 7着・ディープボンド 14着
現在、日本と欧州の馬場適性の違いなどもあり、凱旋門賞制覇という夢は遠ざかっているかもしれない。今年はドバイシーマクラシックを制したシャフリヤールがイギリスのプリンスオブウェールズステークスでコースや芝に苦戦し4着だった。
しかし、世界中で活躍している日本馬は決して弱くない。今年は天皇賞(春)、宝塚記念を圧倒的な強さで制したタイトルホルダー。日本ダービーを制し、3歳世代No1の座についたドウデュースなどが出走予定だ。今年こそ日本競馬の悲願達成の瞬間をこの目に焼き付けたい。
《ライタープロフィール》
高橋楓。秋田県出身。
競馬のWEBフリーペーパー&ブログ『ウマフリ』にてライターデビュー。競馬、ボートレース、競輪の記事を中心に執筆している。
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