【共同通信杯】クラシックに直結する出世レース ここから飛躍したゴールドシップ、ジャングルポケット、メジロブライトのレースを振り返る
高橋楓
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勝ち馬のその後は出世レースのイメージ通り
よく共同通信杯のことを「登竜門」と表すことがある。過去10年の勝ち馬だけをみても、海外のレースも含めると6頭がGⅠホースになっている。
2014年 イスラボニータ 皐月賞
2015年 リアルスティール ドバイターフ
2016年 ディーマジェスティ 皐月賞
2017年 スワーヴリチャード 大阪杯・ジャパンC
2019年 ダノンキングリー 安田記念
2021年 エフフォーリア 皐月賞・天皇賞(秋)・有馬記念
また過去10年の共同通信杯勝ち馬のJRA・GⅠ成績は【8-8-11-36】勝率12.7%、連対率25.4%、複勝率42.9%、単勝回収率160%、複勝回収率89%。単純計算だが勝ち馬の単勝をGⅠで買い続けていれば、プラスだったことになる。
本レースの勝ち馬はクラシックを占うだけでなく、その先のGⅠ戦線でも活躍が期待できる。そこで今回は過去の勝ち馬3頭にスポットをあて、当時の活躍を振り返ってみたい。
2012年ゴールドシップが作った直行便の可能性
2012年までは共同通信杯から皐月賞直行組は勝利歴がなく、ある意味「消し」のローテーションとされていた。このジンクスを打ち破ったのが、ゴールドシップだ。
本馬は2歳時を北海道と阪神で4戦2勝2着2回と連対率100%。今だからこそ、色々なキャラクターで愛されているゴールドシップも、この時点では「スタートは苦手だが確実に末脚を使えるクラシック候補」といった優等生に近いイメージだった。デビュー戦はレコード勝ち、続くコスモス賞も完勝。札幌2歳Sは出遅れて最後方からレースを進めるも馬群を割って2着に入り、ラジオNIKKEI杯2歳Sでは大捲りを敢行しての2着。共同通信杯当日も2番人気に支持された。
レースはここ2戦が嘘のようなスタートをみせ、先団にとりついた。逃げたのは1番人気の東京スポーツ杯2歳S覇者のディープブリランテ。3番手にゴールドシップがつけ、少し後ろにスピルバーグが追走する展開。最初の1000mが62.6秒というスローペースでディープブリランテは楽な手ごたえで逃げていた。
ラスト600mを過ぎたあたりからゴールドシップと初コンビの内田博幸騎手のアクションが大きくなった。しかし、思った以上にスピードに乗らず、逆にディープブリランテやコスモオオゾラ、ストローハットの反応のほうが良さそうに見えた。しかし、ゴールドシップはラスト200mでエンジンが点火すると、前を行く、後のダービー馬ディープブリランテを一気にかわし、翌々年の天皇賞(秋)を制するスピルバーグをも退けた。
エンジンのかかりが遅く、直線の長い東京コースがこの馬には合う。私にはそういう記憶がはっきりと植え付けられた。しかしその後、ゴールドシップは日本ダービー2番人気5着、2013、2015年ジャパンCで2番人気15着、2番人気10着と、一度も東京では馬券に絡まず引退するとは、当時の私には全く予想できなかった。
記録よりも記憶に残るジャングルポケット
今、見直してもジャングルポケットの成績と人気の乖離に驚く。というのも、頭の中では常に1番人気のような気がしていたが、実際に1番人気だったのは13戦して4回だけ。それ以外は2番人気3回、3番人気4回、5番人気2回。日本ダービーとジャパンCを制していながら、この人気だったことを考えると、それだけタレントが揃っていた時代。と言えるのかもしれない。
馬齢が生まれ年を1歳と数えていた時代にデビューしたジャングルポケット。デビュー戦の3歳新馬戦は8頭立ての5番人気で出走。ただ、かなりハイレベルなメンバー構成で、後の朝日杯3歳S2着のタガノテイオー、翌年の若葉Sを勝つダイイチダンヒル、そして朝日杯3歳Sを制するメジロベイリーが出走するなか、ジャングルポケットはこれらをまとめてなぎ倒した。このレースは出走した全馬がJRAで勝利を記録するという、のちに伝説の新馬戦の一つに数えられるレースだった。
2戦目の札幌3歳Sでも5番人気だったが、再びタガノテイオー、そして翌年に牝馬二冠を達成するテイエムオーシャンを破りレコード勝ち。にもかかわらず、3戦目のラジオたんぱ杯3歳Sは3番人気。このレースでは翌年にNHKマイルCとJCダートを勝つクロフネ、無敗で皐月賞を制するアグネスタキオンらを相手に2着に入った。
そして、初めて1番人気に支持されたのが2001年の共同通信杯だ。トニービン産駒と相性の良い東京競馬場が舞台。相手関係を見ても、日本ダービーを意識すれば負けられない一戦だった。コース横に雪が残る中スタートすると、ジャングルポケットはいつもの様に先団を見る形でレースを進め、直線では大きく外へ持ち出す盤石のレースぶり。坂をのぼり、鞍上の角田晃一騎手が後ろを数回確認し、一気にゴーサインをだすと明らかに1頭レベルの違う加速力とスピードを見せた。
とはいえ抜け出してからヨレるなど若さを見せる一面もあっただけに、課題も十分に見つかった内容だった。その後は日本ダービー、2001年ジャパンCと東京競馬場では通算3戦3勝。記録よりも記憶に強く残る1頭だ。
雑草魂!1997年メジロブライトが魅せたレコード勝ち
父メジロライアンは皐月賞3着、日本ダービー2着、菊花賞3着とクラシックの栄光にあと一歩届かなかった。オグリキャップの引退レースの有馬記念でも2着。あと一歩届かない末脚はファンから愛され、1991年の宝塚記念では悲願のGⅠ制覇を達成した。JRAのヒーロー列伝ポスターのキャッチコピーは「本当の強さは、誰も知らない。」という言葉がピッタリとくるサラブレッドだった。そのライアンの初年度産駒がメジロブライトだ。
メジロブライトはエリートとはかけ離れた存在だった。ノーザンテーストやトニービンなど海外からの輸入種牡馬が隆盛の時代。内国産馬の二代目は苦労していた時代だ。しかも父ライアンがデビュー時すでに500kgを超える雄大な馬体だったのに対し、ブライトは446kg。新馬戦は6頭中ぶっちぎりの最低人気だった。5番人気が単勝オッズ13.5倍に対し、ブライトは58.9倍。そのブライトが直線で全馬を差し切るのだから競馬は面白い。スタートで出遅れ、前半1000m72秒という信じられないほどのスローペース。その中で最後方から上がり1位の末脚を使って差し切った。
その後、同期と切磋琢磨し怪我も乗り越え、いよいよ共同通信杯では単勝1.6倍の1番人気に支持された。スタートすると無理をすることなくスッと後方2番手に下げた。これまで全レースで上がり3ハロン1位の末脚を信じた騎乗だ。重賞で継続騎乗中の松永幹夫騎手も焦る気配はなかった。
ただ直線を向いても前走で見せたような反応がない。ようやく、坂をのぼった辺りで大外から一気に進出。そのとき、なぜか父ライアンのあと一歩届かない末脚が私の脳裏をよぎった。「届かない!」そう感じたが、最後にグイっともう一伸びして差し切った。タイムはナリタブライアンが記録した1分47秒5のレコードに並ぶものだった。
父が果たせなかった悲願のクラシック制覇は目前と思われたが、皐月賞4着、日本ダービーと菊花賞は3着。あと一歩及ばないのは父譲りだったのだろうか。それでも同年のステイヤーズSでは後続に1.8秒差をつける歴史的大差勝ち。そして1998年には天皇賞(春)で悲願のGⅠ制覇を達成。父同様、愛される名馬となった。
近年、クラシックへの重要度が増している共同通信杯。今年は朝日杯FS1、2着のジャンタルマンタルやエコロヴァルツが出走予定。例年以上にハイレベルな戦いが予想される。いったいどんなレースになるのか今から期待が高まる。
《ライタープロフィール》
高橋楓。秋田県出身。
競馬のWEBフリーペーパー&ブログ『ウマフリ』にてライターデビュー。競馬、ボートレースの記事を中心に執筆している。
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