日本馬の次なる標的はどこだ 海外の主要な高額賞金レース7選

高橋楓

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世界の主な高額賞金レース

1997年4月。第2回ドバイワールドカップ。深夜に眠い目を擦りながらお気に入りのSHOCKWAVEウォークマンでラジオを聞いていた。当時、海外競馬のレースはテレビ等の放送も少なく、ラジオだけだったと記憶している。

この日は大好きなホクトベガがドバイの地で引退レースを迎える予定だった。が、運命はいつもハッピーエンドでは終わらない。競走中止。真夜中に混乱したままラジオを消し、朝起きて結末に涙した。

あの日からおよそ四半世紀。ウシュバテソーロがダートのドバイワールドカップを制覇してくれ、鮮明にホクトベガの事を思い出した。近年、海外遠征のノウハウが蓄積され、日本馬が積極的に世界各国へ挑み活躍している。そこで今回は海外競馬にスポットを当て、主な高額賞金レース等をまとめてみたい(※以下、1ドル=130円、1豪ドル=87円、1ユーロ=140円として記述する)。

2023年 主な世界の高額賞金レース,ⒸSPAIA


世界最高額賞金のレースは、2月にパンサラッサが優勝したサウジカップ(ダート1800m)。賞金総額約26億円、1着賞金約13億円という想像もできないようなビッグマネーだ。これは名牝ウオッカが現役時に国内で稼ぎ出した賞金とほぼ同額。それだけで途方もない数字という事が分かる。およそ1分50秒のレースに世界中から強豪が集うのも頷ける。

続く高額賞金レースはつい先日ウシュバテソーロが制したドバイワールドカップ(ダート2000m)。1着賞金は約9億480万円だ。5つのサラ系GⅠを含むドバイワールドカップデーのメインレースである。1996年に新設された際には当時の世界最高賞金レースとして行われ、日本からライブリマウントが挑戦し6着だった。2011年にオールウェザーで行われた時にはヴィクトワールピサが日本馬として初制覇。東日本大震災が発生したばかりの日本に、明るい話題を届けてくれたことを今でも覚えている。

賞金額3、4位に挙がるのは、「ジ・エベレスト」(芝1200m)の1着賞金約5億3940万円、「ザ・ゴールデンイーグル」(芝1500m)の同約4億5675万円。どちらもオーストラリアのレースで、日本では馴染みが薄いかもしれない。しかし、重賞未格付ながらオーストラリアで最も有名な競走とされるメルボルンカップよりも高額賞金となっている。「ジ・エベレスト」に参加するには、以前のペガサスワールドカップのように枠を購入する必要があるため、日本馬の直接の参戦はあるか分からない。ただ、過去にはオーストラリアに移籍したブレイブスマッシュが挑戦したこともあり、今後も耳にする機会は増えてきそうだ。

他にもドバイシーマクラシック(芝2410m)が約4億5240万円、ブリーダーズカップクラシック(ダート10F)が約4億560万円、凱旋門賞(芝2400m)が約3億9998万円。日本のジャパンカップや有馬記念の1着賞金5億円と比べても遜色のないレースが世界中で行われている。

2023年現在、日本国外の高額賞金レース,ⒸSPAIA

世界の主な競馬場と主要レース

世界の主な競馬場と主要レース,ⒸSPAIA


競馬は世界中で行われていて、パートⅠ国・地域は現在16ある。日本は2007年に昇格。下記、国・地域名と主なレース名の一部を抜粋してみよう。

アラブ首長国連邦(ドバイワールドカップ)
フランス(凱旋門賞)
香港(香港カップ)
アメリカ(ブリーダーズカップクラシック)
オーストラリア(メルボルンカップ)
イギリス(キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス)
アイルランド(アイリッシュチャンピオンステークス)

錚々たる名前が並んでいる。ちなみにサウジカップが行われているサウジアラビアは2021年にパートⅡ国に昇格したばかりだが、今後も目が離せない。

改めて各国を見てみるとメルボルンカップは2006年にデルタブルースがポップロックと日本馬同士の叩き合いのすえ優勝。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスは1969年にスピードシンボリが初めて挑戦して以来6頭が挑み、2006年ハーツクライの3着が最高。アイリッシュチャンピオンステークスは2019年に長期海外遠征を敢行したディアドラが挑戦し4着となっている。

日本競馬の悲願と言えば真っ先にフランスの凱旋門賞があげられるが、馬場適性などの問題もあり高い壁となっている。しかし、他方に目を向けるとアメリカのブリーダーズカップクラシックをはじめ日本調教馬が未制覇のビッグレースはまだまだ世界中にたくさんある。今後の挑戦と勝利が期待される。

悲願の海外GⅠ制覇に沸いた1998年

1998年 日本競馬の躍進,ⒸSPAIA


日本馬の海外遠征に目を向けると忘れられない年がある。1998年だ。まずは6頭の結果から見てみよう。

3月28日 キョウトシチー(ドバイワールドカップ・6着)
8月9日 シーキングザパール(モーリスドゲスト賞・1着)
8月16日 タイキシャトル(ジャックルマロワ賞・1着)
9月6日 シーキングザパール(ムーンランドロンシャン賞・5着)
12月13日 ロイヤルスズカ(香港国際ボウル・4着)
12月13日 ミッドナイトベット(香港国際カップ・1着)

今でこそ日本の馬が海外で活躍するのを頻繁に目にするが、今から四半世紀前、それは想像もできなかった。1995年にフジヤマケンザンがGⅡの香港国際カップを勝った時には度肝をぬかれた、そんな時代だった。特に1997年はホクトベガがドバイの地で散り、サクラローレルがフォワ賞のレース中に右前脚屈腱不全断裂の大怪我を負い何とか日本に帰国。

そんな暗い空気を払しょくしたのがモーリスドゲスト賞を制したシーキングザパールだった。本音を言えば、翌週にジャックルマロワ賞に出走するタイキシャトルにばかり期待していた。当時マイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークス、安田記念を含む重賞6連勝中で国内に敵無し。日本競馬の新たな1ページを作るのはこの馬だとばかり思っていた。一方、シーキングザパールは古馬になってからシルクロードステークスを4番人気で制していたが、高松宮記念4着、安田記念は10着と大敗していた。

しかし、私もこの歳になると「経験」という言葉の重みが良く分かる。森秀行調教師の慧眼が。フジヤマケンザン、スキーキャプテン、タニノクリエイト、ドージマムテキ、シーズグレイスと数多く場数を踏んできた師はシーキングザパールの適性にぴったりのレースを選択し、歴史的偉業を果たしたのだった。そして翌週、タイキシャトルがジャックルマロワ賞を制し、2週連続で日本調教馬の海外GⅠ制覇が達成された。

これが翌年のエルコンドルパサーのフランス遠征での大活躍や、アグネスワールドのアベイドロンシャン賞制覇へ繋がり、毎年のように日本馬が海外で活躍する礎になったと言ってよいだろう。これからも日本馬たちの活躍から目が離せない。

《ライタープロフィール》
高橋楓
秋田県出身。競馬のWEBフリーペーパー&ブログ『ウマフリ』にてライターデビュー。競馬、ボートレースの記事を中心に執筆している。

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