データで見る福永祐一騎手27年間の年表 2連勝の鮮烈デビュー、リーディング獲得、無敗三冠達成
SPAIA編集部
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福永祐一騎手、国内ラストライドへ
調教師試験への合格と、それに伴う2023年2月末での引退が発表されている福永祐一騎手。現役最終週はサウジアラビアでの騎乗を予定しているが、フェブラリーSが行われる今週日曜が国内での最終騎乗となる。
そんな国内ラストウィークに先立ち、福永祐一騎手の現役生活27年間の年表をデータとともに振り返っていく(データはJRAのみ)。
『天才の息子・鮮烈デビュー』 1996年~2005年
福永祐一騎手は1996年3月にデビュー。リーディングジョッキーを9度獲得した福永洋一元騎手を父に持ち、同期には和田竜二騎手、細江純子元騎手などがいる、いわゆる「競馬学校花の12期生」のひとりとしてキャリアをスタートさせた。
初騎乗からいきなりの2連勝、初年度53勝を挙げる華々しいデビューを飾ると、翌97年の秋にはキングヘイローに騎乗した東スポ杯3歳Sで重賞初制覇。同馬とは翌年の日本ダービー初騎乗でもコンビを組んだが、まさかの逃げる競馬で直線大失速。2番人気14着の大敗は今でも語り草となっている。
そんな苦い敗戦もありながら、成績的には着実にステップアップ。デビュー4年目、99年にはプリモディーネで桜花賞を制し、GⅠ初制覇。年末には所属する北橋修二厩舎の管理馬エイシンプレストンで朝日杯3歳Sを勝った。エイシンプレストンとは01年香港マイルで海外GⅠ初制覇も達成している。
99年までは40~60勝程度で推移していた年間勝利数を、00~04年には84勝、81勝、89勝、83勝、96勝とし、関西の上位騎手として確たる地位を築き始め、ついに年間100勝を達成したのが05年。ラインクラフト(桜花賞、NHKマイルC)やシーザリオ(オークス、アメリカンオークス)らとJRA・GⅠ5勝を含む109勝を挙げ、騎手生活10年の節目にふさわしい大活躍の一年となった。
順調そのものに思える「前期」10年間だが、そこには北橋厩舎と瀬戸口勉厩舎による手厚いサポートがあったことも見逃せない。この期間で挙げた752勝のうち、264勝はこの2厩舎によるもの。割合にすると実に35%に達している。重賞51勝に至っては、ほぼ半数の24勝がこの2厩舎で挙げたものであった。
『GⅠから遠ざかった4年間を乗り越える』 2006年~2015年
「前期」の福永騎手を支えた北橋厩舎は06年2月に、瀬戸口厩舎は07年2月にそれぞれ定年のため解散。大きな不振に陥ったわけではなく、08年にはJRA通算1000勝の節目にもたどり着いた。だが、06~09年の勝利数は88勝、82勝、86勝、93勝。なかなか100勝の壁を再び超えることができずにいた。
特にこの4年間は、GⅠレースでの成績が低迷した。JRAGⅠには75度騎乗してわずか2勝、勝率2.7%。デビューからの10年間がGⅠ勝率9.8%だったことと、本来ジョッキーとして脂が乗ってくるはずの年齢であることを考えれば、明らかな伸びあぐねといってよいだろう。
転機を迎えたのは2010年。キャリアハイだった05年とほぼ同水準の勝率13.5%、109勝をマークする。この年はそれまで不動のリーディングだった武豊騎手が落馬負傷のため長期離脱したという外的要因があったのも確かだが、福永騎手はこの上昇気流を逃さず、翌11年に勝率16.1%、133勝とさらにジャンプアップ。ついに自身初となるリーディングジョッキー、そしてJRA賞最高勝率騎手のタイトルに輝いた。
115勝を挙げた12年は日本ダービーで初めて1番人気馬(ワールドエース)に騎乗するも4着。翌13年は自身が主戦を務めたシーザリオの3番仔エピファネイアとクラシックロードを歩む。皐月賞2着、日本ダービーは向正面で折り合いを欠き、前の馬に乗りかけて躓き、落馬寸前のシーンがあっての惜しい2着。ひと夏越して神戸新聞杯を快勝すると、ロゴタイプやキズナといったライバルが不在の菊花賞に駒を進めた。
実はこのレース前の時点で、福永騎手のJRAGⅠ勝ちは全て牝馬限定戦かマイル以下の短距離戦。牡馬混合1800m以上のGⅠでは【0-7-6-78】、「牡馬の王道は勝てない」とささやかれることもあった。しかしエピファネイアとともに菊花賞を5馬身差で圧勝すると、翌週の天皇賞(秋)もジャスタウェイであっさりと優勝。汚名を払拭し、特にジャスタウェイとのコンビでは翌年のドバイデューティーフリーも大楽勝した。
最終的に13年は131勝、14年は118勝、15年は121勝。安定して100勝、勝率15%を超える成績を残すようになったのがこの頃である。
『悲願の初ダービー、無敗三冠』 2016~2023年
デビュー21年目を迎えた16年は年間106勝、重賞11勝。GⅠレースでは、新馬戦から手綱をとったリアルスティールがムーア騎手への乗り替わりでドバイターフを勝ったちょうど翌日、テン乗りのビッグアーサーで高松宮記念を制した。ビッグアーサーでは春秋スプリント制覇を懸けてスプリンターズSにも挑んだが、1番枠から包まれて進路を失い12着。その2週後には「大魔神」こと佐々木主浩オーナーの所有馬ヴィブロスで秋華賞を制した。
17年は116勝を挙げ、JRA通算2000勝を突破。JRAでのGⅠ制覇こそなかったが、ケイティブレイブで大井の帝王賞に勝利。まさかの出遅れから、待機策に転じて新味を引き出し、先行したクリソライト、アウォーディーらを鮮やかに差し切った。
そしてなんといっても18年(103勝)にはワグネリアンで日本ダービー初制覇。不利とされる外枠17番から積極的に好位を取りに行く騎乗で、19回目のダービー挑戦を実らせた。このときを境にGⅠレースでの勝負強さが格段に増していく。
19年は107勝、GⅠ・3勝。年末のホープフルSを勝ったコントレイルは、翌20年にその父ディープインパクト以来となる無敗でのクラシック三冠を達成。その背中にいたのはもちろん福永騎手だった。この年は134勝を挙げて、リーディングを獲得した11年の記録を久々に更新、勝率もキャリアハイの19.2%だった。
21年には123勝、シャフリヤールに騎乗して日本ダービー3勝目。ちなみにシャフリヤールを管理する藤原英昭厩舎では通算148勝を挙げていて、これは「前期」を支えた北橋厩舎(146勝)や瀬戸口厩舎(133勝)をも上回る数字である。
22年12月には調教師試験への合格と、翌年2月末での引退が明らかになった。年間101勝、ギリギリではありながら13年連続年間100勝を達成し、そして今月末、惜しまれながら騎手としてのキャリアを終える。
今週は土曜の京都牝馬Sでテンハッピーローズ、フェブラリーSでオーヴェルニュに騎乗予定。どちらも伏兵という立ち位置となりそうだが、11番人気ブルーショットガンで最終週の重賞を勝った松永幹夫元騎手(現調教師)の前例もある。デビュー2年目から続く26年連続JRA重賞制覇の記録を「27」に伸ばせるかにも注目したい。
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