総賞金6億超えも GⅠ未勝利馬限定JRA総獲得賞金ランキング
高橋楓
ⒸSPAIA
頑張ってくれた名脇役たち
駅から競馬場へ向かう通路を歩いているとヒーロー列伝コレクションのポスターが目に付く。特に「愛さずにいられない。」というステイゴールドのポスターは感心させられるほど的確に馬の特徴を捉えている。そのポスターが出来てから20年が過ぎているが、GⅡの賞金額はGⅠに比べ劇的には変化していない。
例えば毎日王冠の賞金はオグリキャップが制した1989年が5200万円、サイレンススズカの1998年が6465万、昨年の2019年ダノンキングリーが6770万円である。今回はGⅠ制覇には届かなかったが、重賞戦線で常に頑張ってくれた名脇役たちにスポットをあて「JRAでの総獲得賞金のみ」をランキングにして振り返ってみたい。
有馬記念3年連続3着「ブロンズコレクター」ナイスネイチャ
第1位は「ナイスネイチャ」総獲得賞金6億1918万円、JRA成績[7-6-8-20]。この馬に思い入れの強いファンは多いのではないだろうか。GⅠ出走回数16回、重賞34回連続出走は当時の史上最多記録であった。アイドル性と強さを持ち合わせた名馬だった。そんなナイスネイチャの代名詞は有馬記念「3年連続3着」と言っても過言ではないだろう。
まず初出走となった1991年、ダイユウサクが一世一代の大駆けをした年である。3歳(旧表記4歳)の夏、ナイスネイチャは小倉記念で古馬を一蹴し、次走で京都新聞杯を連勝。菊花賞4着の後、鳴尾記念制覇と破竹の勢いで有力馬の1頭として挑み、翌年以降の活躍を期待させる3着となる。
しかし、翌年はジリ脚なレースが続き、4番人気に推されながらメジロパーマーにまんまと逃げ切られ3着。
そして伝説の3年目。天皇賞(秋)ジャパンカップで大敗したことにより、脇役の10番人気で挑んだが、トウカイテイオーとビワハヤヒデのデッドヒートを見守りつつ、しっかりと3着を確保する。3年間をそれぞれ有力馬から脇役という全く違った立場や脚質でのレースになりながら、気づけば定位置になっていた。また、何と言っても馬場秀輝厩務員とのコンビも人気のひとつだった。
リアルダービースタリオン「バランスオブゲーム」
第2位はダービースタリオンの開発者である薗部博之さんの所有馬「バランスオブゲーム」総獲得賞金6億1769万円、JRA成績[8-3-2-16]。これほどまでにGⅡで強い馬はそうそう現れないだろう。
GⅠでの成績が[0-0-2-12]に対し、GⅡでは[6-3-0-3]ですべて4着以上である。そして驚く事に、GⅡでバランスオブゲームが1番人気で走ったのは日経賞1回だけだった。通算29戦のうち26戦がGⅡ以上の出走という、当時の大レースには無くてはならない存在だった。
度重なる怪我を乗り越えて「ダイワテキサス」
第3位は「ダイワテキサス」総獲得賞金6億1326万円、JRA成績[11-9-5-28]。長い長い下積み時代を経て、突然の覚醒。31戦もの重賞挑戦で積み重ねた重賞勝利は5勝。
この馬が最大の輝きを放ったのは2000年、世紀末覇王テイエムオペラオーが8戦全勝を飾った有馬記念ではないだろうか。その年それまでに11戦も重賞レースを走り、3勝の実績を引っ提げて臨んだのだが相手が悪すぎた。しかし、4コーナーを回った時に誰もが目を疑った。
前年の菊花賞馬で3番人気のナリタトップロードの外を力強くあっという間に捲っていったのだ。中山の短い直線を向いた時にはリードを広げて坂に入る。13番人気のダイワテキサスの大金星か、と思われた時にゴール前でテイエムオペラオーとメイショウドトウに3/4馬身交わされ惜しくも3着。7歳(旧表記8歳)の古豪の頑張りに拍手と声援が巻き起こった。
「リンカーン」「ウインバリアシオン」がランクイン
第4位は「リンカーン」総獲得賞金5億8842万円、JRA成績[6-5-3-9]。GⅠで1番人気にもなり、2着が3回。特に2006年の天皇賞(春)ではマヤノトップガンのレコードタイムよりも速く走っているにも関わらず3馬身以上前にディープインパクトがいた。レース後に横山典弘騎手が語った「時代が悪かった」というコメントに全てが込められている。
第5位は「ウインバリアシオン」総獲得賞金5億7994万円、JRA成績[4-7-2-10]と続いている。現在は青森県で種牡馬として頑張っている。父の果たせなかったGⅠ制覇を産駒に託したい。
黄金旅程「ステイゴールド」
最後に海外のGⅠを制しているため、敬意をこめて今回のランキングから外したステイゴールドを忘れてはならない。総獲得賞金7億6299万円、JRA成績[5-12-8-23]という断然の成績である。しかし、2着回数12回が示すように、国内ではあと一歩が足りなかった。熊沢重文騎手とのコンビで、いつも頑張って追い込んでくるも届かない。
強い馬が好まれた時代の中で異例の人気を博し、引退レースとなった香港ヴァーズでの羽の生えたような追い込みが伝説へと押し上げた稀代の名馬だった。
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