なぜ牧場見学には制限が必要なのか 過去には「たてがみ切り取り事件」や防疫の問題も

Ⓒゲッティイメージズ
牧場の厚意で成り立つ見学
ゴールドシップを繋養するビッグレッドファーム(北海道新冠町)が、2026年7月11日から土日祝日の一般見学を休止すると発表した。見学者の増加や駐車場の収容量超過に伴い案内体制の維持が困難となったことが理由としている。
競馬ファンの増加に伴い、競走馬の牧場見学も人気を集めている。一方で、牧場見学時のマナーをめぐるトラブルや、防疫に無理解なファンの行動を非難する声もSNSを中心に散見される。そういった中での見学中止とあって、競馬ファンを中止に話題となっている状況だ。
牧場見学は、観光施設への入場とは性質が異なる。競走馬を育てる牧場の多くは繁殖や育成を本業とする私有地であり、見学の受け入れは牧場側の厚意で成り立っている。入場料を取って来場者をもてなす事業ではないため、見学できる牧場とできない牧場があり、時期や時間の制約も牧場ごとに違う。
ビッグレッドファームも、ゴールドシップなどの種牡馬(繁殖に用いる牡馬)を繋養(けいよう。馬を飼い養うこと)する生産・種馬施設であって、観光を目的とした場所ではない。休止の公式な理由として同ファームが挙げたのは、見学者の増加で駐車場の収容台数を超える可能性が高まり、安全に案内や整理を行う体制の確保が難しくなった点である。
公式の理由とは別に、立ち入り禁止区域への無断進入、見学可否を尋ねる電話の殺到、撮影データの無断投稿、傘や自撮り棒・ドローン・三脚など馬を驚かせる物品の持ち込みといった問題も報じられてきた。土曜・日曜・祝日の一般見学は再開時期を定めないまま休止となり、平日の13時30分から15時30分のみ見学が続く。
見学の窓口と牧場見学の9箇条
ファンと牧場を仲立ちする公的な案内窓口が、競走馬のふるさと案内所である。日高をはじめ全国の主要な馬産地に複数設置され、繋養馬の所在、見学の可否、見学時間、交通アクセスなどを案内し、あわせてマナー啓発を担う。ビッグレッドファームの見学についても、問い合わせ先は競走馬のふるさと日高案内所とされ、牧場への直接連絡は控えるよう公式に求められている。
案内所が示す行動基準が、牧場見学の9箇条だ。可否と見学時間はいずれも案内所へ問い合わせ、時間外の訪問は避ける。牧場では関係者の指示に従い、厩舎や放牧地への無断の立ち入りを慎む。大きな音や声を出さず、馬にさわる行為も禁じられている。牧場内は禁煙とされ、ゴミは各自で持ち帰る。カメラのフラッシュは控え、食べ物を与える行為も認められない。9つの項目は、馬の安全と牧場の業務を守るための最低限の約束事といえる。
見学の可否は牧場の種類によっても傾向が分かれる。活動中の種牡馬を繋養する種馬場は、交配が行われる2月から7月の繁殖期は業務が立て込み、制限がかかりやすい。繁殖牝馬の飼育や出産、子馬の育成を担う生産牧場では、出産と哺乳が続く1月から6月ごろは防疫の観点から見学を断る場合が多い。
若い馬に調教を施す育成牧場は、高速の運動を伴い事故の危険が大きいため、原則として見学を受け付けない。引退した馬が余生を送る養老牧場は方針が牧場ごとに異なり、事前連絡を必須とするか、通年で見学を受けない例が目立つ。
見学休止や制限に至った過去のトラブル
2019年、北海道日高町の牧場と浦河町の観光施設で、繋養されていた名馬のたてがみが何者かに切り取られる事件が起きた。被害を受けたのは日高町にいたタイキシャトルとローズキングダム、ビワハヤヒデ、浦河町にいたウイニングチケットである。ウイニングチケットのたてがみはフリマアプリ「メルカリ」に出品され、器物損壊事件として捜査された。事件を受けて周辺地域では防犯体制が強化され、見学受け入れの厳格化が進んだ。
2021年の夏には、引退馬協会が所有するメイショウドトウとタイキシャトルの見学をめぐる問題が表面化。両馬は同年6月に新冠町のノーザンレイクへ移ったが、新型コロナウイルス対策で見学が止められていた。お盆の時期には、敷地外の私有地への無断駐車が相次ぎ、近隣牧場の作業や通行の妨げとなる事態が発生。近隣の馬に触れられることへの懸念も加わり、牧場側と引退馬協会はSNSでマナーの順守を呼びかけた。
所在地だけを公開し、見学を受け入れない名馬も少なくない。背景には、少人数で運営する牧場に見学対応の余裕がないこと、高齢の馬にとって見知らぬ人が日常的に現れること自体がストレスとなり体調不良を招きやすいこと、馬主と牧場との取り決めによって非公開での繋養が定められている場合があることなどが挙げられる。
トラブルの類型、無断撮影から路上駐車まで
見学者による迷惑行為には、いくつかの型がある。撮影した写真や動画を牧場の許可なくSNSへ投稿する行為、放牧地や厩舎への無断立ち入り、果物や菓子を柵越しに与える無断給餌、公道や作業用道路への路上駐車、見学の可否を尋ねる直接連絡などだ。無断給餌は馬の消化器の病気や疝痛を誘発し、路上駐車は大型車両や住民の通行を止め、牧場への電話は飼育業務を中断させる。
スマートフォンとSNSの普及に伴い、新しい型の迷惑行為も広がっている。自撮り棒を柵越しに突き出す、ドローンで空から撮影する、口コミの拡散で小規模な牧場に収容力を超える人が集まるといった事態が、各地で報告されるようになった。
ビッグレッドファームの公式案内でも、対策が具体的に示されている。見学時に撮影した写真や動画は、SNSやブログ、動画サイト、地図サービスを問わずアップロードが禁じられ、ルール変更前に撮影されたものも同じ扱いとされる。一般見学者は場内のトイレを利用できず、傘は駐車場を含む敷地内への持ち込みができない。大型・中型のバスで訪れる場合は、駐車場の利用に影響するため、公式サイトの問い合わせフォームから10日前までに連絡することが求められる。
事故も起きている。子馬を守ろうとする母馬はとりわけ攻撃的になり、柵から手を出して噛まれる、蹴られるといった人身事故が報告されている。大声や傘の開閉音、風で飛ぶ白いビニール袋の音などに驚いた馬が、放牧地でパニックを起こして暴走し、柵や壁に激突してけがをする例も生じている。馬の脚の骨折は治りにくく、骨折した場合は安楽死の措置に至ることもある。見学者の不用意な行動が、馬の命に関わる結果を招きうるのだ。
マナー以前の壁、防疫という理由
マナー以前に、見学に制限がある理由として防疫がある。防疫とは、伝染病の侵入や広がりを防ぐ取り組みを指す。馬産地でとくに警戒されるのが、馬インフルエンザと馬鼻肺炎である。
馬インフルエンザは伝染力の強い急性の呼吸器の感染症で、高熱や咳、鼻水が主な症状となる。多くは自然に治るが、二次感染で肺炎などに進むこともある。家畜伝染病予防法で発生時の届け出が義務づけられた届出伝染病の一つで、人には感染しない。JRAの施設に入る競走馬には、ワクチンの接種が条件とされている。
馬鼻肺炎は、馬ヘルペスウイルスの1型または4型による届出伝染病だ。1型は呼吸器の症状に加えて妊娠中の馬に流産を起こすため、生産の現場で重く受け止められている。人には感染しない。感染経路は、感染した馬の鼻水の飛沫を吸い込む飛沫感染と、ウイルスの付いた手指や衣類、馬具を介する接触感染がある。一度感染した馬は体内にウイルスを持ち続け、ストレスなどをきっかけに再びウイルスを出す性質を持つ。
見学に制限をかけざるをえない理由は、見学者がウイルスの運び手になりうる点にある。感染した馬や、症状のないままウイルスを出している馬の鼻水などに触れた見学者の靴底、衣服、手指、カメラにウイルスが付き、別の牧場へ運ばれる。だから牧場では、消毒液を張った通路である踏込消毒槽を通過させ、手指の消毒や衣服・長靴の交換を求め、関係者以外の立ち入りを制限している。
2007年には36年ぶりに馬インフルエンザが流行し、届け出ベースでは2007年から2008年にかけて33都道府県でおよそ2500頭が確認された。中央競馬3場で開催中止となり、見学を受け入れる施設も休止や立ち入り制限に踏み切った。2025年にも発生し、帯広のばんえい競馬やくまもと未来国体の記念馬術大会が中止され、牧場も予防のため見学が中止された。
繁殖と出産が集中するおおむね1月から6月に見学が制限されるのは、馬鼻肺炎による流産の危険と直に結びつく。冬から春は厩舎が密閉されて換気が不足しがちで、ウイルスが入ると妊娠中の馬へ伝わりやすい。出産を控えた繁殖牝馬は流産しやすい時期にあり、外から持ち込まれたウイルスで複数の馬が続けて流産する事態も起こりうる。
出産には多額の費用と長い期間が投じられており、流産は牧場の経営に大きな打撃となる。春先に見学を断る判断は、マナー対策の域を超えた防疫上の必要な措置なのだ。
牧場の厚意と責任
馬は法律上、馬主が持つ財産だ。日常の飼育や調教を専門の牧場に任せ、預託料を支払う仕組みを預託(よたく)と呼ぶ。見学を受け入れるかどうかの最終的な決定権は、財産の持ち主である馬主にある。
見学者の行為で馬が負傷したり死んだりすると、預けられた牧場は馬主から管理の責任や損害賠償を問われる恐れが生じる。安全を守れないと牧場が判断すれば、預託契約の解除を申し入れ、馬は非公開の牧場へ移り、ファンは姿を見られなくなる。NPOによる引退馬支援でも、近隣への迷惑が重なれば地域から敬遠され、養老牧場の運営が続けられなくなる懸念がある。見学者の行為の積み重ねが、名馬を公開の場から遠ざける引き金になりうる。
牧場見学は、牧場の厚意と、馬の安全を守る細やかな管理の上に成り立っている。ビッグレッドファームの土日祝日の休止は、見学者の増加という運営上の事情を公式の理由としつつ、マナーをめぐるトラブルや防疫という背景とも重なる出来事だ。
見学の可否や時間は競走馬のふるさと案内所に確認し、牧場への直接連絡は避ける。放牧地や厩舎に立ち入らず、馬にさわらず、食べ物を与えず、撮影のルールにも従う。守るべき約束の多くは、馬の命と牧場の営みを守るために積み重ねられてきた。名馬の姿を長く見続けられるかどうかは、訪れる側の振る舞いにかかっている。
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