「雨」の中の名レース3選! 2001年天皇賞(秋)、2020年桜花賞、2006年宝塚記念

高橋楓

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雨の中の名勝負! 思い出深い3レース

「十人十色」という四字熟語がある。人はそれぞれ好みや意見が異なっており、一律ではないという意味だ。例えば思い出のレースひとつとっても、何を選ぶかは分かれることだろう。だから競馬は面白い。6月に入り梅雨の香りがしてきた事もあり、今回は雨の中で行われた、個人的に思い出深い3つのレースを紹介してみたい。

批判なんか関係ない! アグネスデジタル

2001年 第124回 天皇賞(秋),ⒸSPAIA


2001年の天皇賞(秋)ほど人に紹介するのが難しいレースがあるだろうか。

「アグネスデジタルが45年ぶりに外国産馬として制した天皇賞」
「テイエムオペラオー、メイショウドトウのライバル物語に終止符がうたれた天皇賞」
「クロフネが出走できなかった天皇賞」

どの馬を主語にするかで意味合いが全く変わってくる。まずはレース内容と結果を振り返ろう。

2001年10月28日 第124回天皇賞(秋) 東京競馬場 天候:雨 馬場状態:重
1着 アグネスデジタル(四位洋文)4番人気
2着 テイエムオペラオー(和田竜二)1番人気
3着 メイショウドトウ(安田康彦)2番人気
4着 イブキガバメント(河内洋)5番人気
5着 ダイワテキサス(柴田善臣)11番人気

秋雨の東京競馬場。馬場は渋っており、テレビ越しでも各馬の馬体がうっすら霞む程の天候だった。ゲートが開くと、逃げ馬サイレントハンターがまさかの出遅れ。ペースを作る馬がおらず、馬群は団子状態で淡々とレースが進んでいく。先頭はメイショウドトウ。先行し成績を残していた馬ではあったが、珍しく逃げの競馬となった。直線を向くと世紀末覇王テイエムオペラオーが一気に抜け出す。雨の日のオペラオーは強い。

1999年の皐月賞、2000年の宝塚記念、2001年の天皇賞(春)。思えばいつも雨が降っていた。その強いオペラオーの姿が脳に刷り込まれているだけにラスト200mで勝負は決まったかに思えた。しかし、大外からアグネスデジタルが鮮やかに追い込んでくる。一歩、また一歩とその差が縮まっていく。そして追い抜いて1馬身差をつけたところがゴールだった。戦前はクロフネ出走除外(当時は外国産馬が2頭までしか出走できず)の批判の的にされたアグネスデジタルだったが、誰にも文句を言わせない強い勝ち方だった。

このレースを含め、日本テレビ盃(船橋ダート1800m)、マイルチャンピオンシップ南部杯(盛岡ダート1600m)、天皇賞(秋)(東京芝2000m)、香港カップ(シャティン芝2000m)、フェブラリーS(東京ダート1600m)と地方・中央・海外、そして芝にダートと条件に関係なく5連勝。底知れぬ力を感じさせた。

長きにわたって続いたテイエムオペラオーVSメイショウドトウのライバル物語にアグネスデジタルがひとつの区切りをつけ、クロフネのダート挑戦そして伝説の入り口を作った。それが秋雨の第124回天皇賞(秋)だった。

伝説への第一歩! デアリングタクト

2020年 第80回 桜花賞,ⒸSPAIA


2020年4月12日 第80回桜花賞 阪神競馬場 天候:雨 馬場状態:重
1着 デアリングタクト(松山弘平)2番人気
2着 レシステンシア(武豊)1番人気
3着 スマイルカナ(柴田大知)9番人気
4着 クラヴァシュドール(M.デムーロ)6番人気
5着 ミヤマザクラ(福永祐一)7番人気

画面越しからも分かる雨粒が満開の桜に打ちつける。そんなコンディションの中行われたのが2020年の桜花賞だった。無観客開催だったため、伝説の幕開けに立ち会えなかった事が今でも心残りだ。

レースは逃げたスマイルカナとレシステンシアが終始一騎打ちの様相。直線を向いた時には、デアリングタクトの8馬身以上前を2頭が走っている。ラスト200mでレシステンシアが一歩抜け出す。阪神JFに続くGⅠ・2勝目だ、と思ったところを大外から豪脚を繰り出しデアリングタクトが飛んできた。その泥だらけの姿を見た時に、1999年皐月賞のテイエムオペラオーの姿が重なって見えた。

これはとんでもない馬が現れたぞ、と鳥肌がたった事を覚えている。父エピファネイアに産駒の初重賞勝利を送り、桜花賞惜敗だった父母シーザリオと母母デアリングハートに栄光を届けた。自身も1948年ハマカゼ、1980年ハギノトップレディに続く実に40年ぶり史上3頭目の、デビュー3戦目での桜花賞制覇を果たしたのだった。

日本競馬の悲願へ! ディープインパクト

2006年 第47回 宝塚記念,ⒸSPAIA


凱旋門賞制覇に対して「悲願」という言葉を使うのはもう古いのかもしれない。世界中に移動できるようになり、選択の幅はここ数年で本当に増えたと感じている。それでもあえて私は言いたい。日本調教馬の凱旋門賞制覇という「悲願」を見てみたいと。恐らく私が社会人になる前に爆発的にヒットしたゲームの影響が強いのだろう。一定の条件をクリアすると凱旋門賞に挑戦する事が出来るシステムで、それが大目標だった。

話をリアルに戻そう。1969年にスピードシンボリが初めて挑戦して以来、メジロムサシ、シリウスシンボリが厚い壁に阻まれてきた。1999年に長期フランス遠征をおこなったエルコンドルパサーがモンジューとの叩き合いの末、あと一歩の2着になり希望を見出してくれた。しかし、その後も簡単には夢を見させてはくれなかった。その中で挑戦を表明したのが「日本近代競馬の結晶」とまで言われたディープインパクトだった。

2006年6月25日 第47回宝塚記念 京都競馬場 天候:雨 馬場状態:稍重
1着 ディープインパクト(武豊)1番人気
2着 ナリタセンチュリー(田島裕和)10番人気
3着 バランスオブゲーム(田中勝春)9番人気
4着 ダイワメジャー(四位洋文)4番人気
5着 カンパニー(福永祐一)6番人気

6月らしい梅雨空の京都競馬場。例年とは違いこの年の舞台は淀だった。レース前から凱旋門賞への壮行ムードが漂っており、単勝オッズは1.1倍。2番人気リンカーンの単勝オッズが12.9倍だったことからもわかる通り、断然の人気となっていた。

レースが始まると中山記念を連覇したバランスオブゲームが淡々と逃げる展開となり、シンガポールでGⅠ馬となり凱旋したコスモバルクが絶好の手ごたえで前に迫っていく。3コーナーにさしかかった頃、先団ではAJCC覇者シルクフェイマス、前年にマイルCS、香港マイルを制したハットトリック、マイル路線に転向していた皐月賞馬ダイワメジャー、日経賞を制し天皇賞(春)2着のリンカーンがディープインパクトを突き放しにかかっている。壮行レースなんかじゃない、誰も負けたくは無いのだ。

しかし、それらの強豪をもってしても4コーナーで勝負が分かってしまうほど、力の差は圧倒的なものだった。雨降る重い馬場を経験したディープインパクトに凱旋門賞制覇を夢見た瞬間であった。

《ライタープロフィール》
高橋楓。秋田県出身。
競馬のWEBフリーペーパー&ブログ『ウマフリ』にてライターデビュー。競馬、ボートレース、競輪の記事を中心に執筆している。

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