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平成10年 サイレンススズカ悲劇の天皇賞(秋)【平成スポーツハイライト】

2018/12/22 15:00
SPAIA編集部
馬の写真,Ⓒshutterstock

Photo by makieni/Shutterstock.com

けれんみのない逃げ馬

この馬をひと言で表すなら「けれんみのない逃げ馬」

スタートしてから後続をぐんぐん離す逃げっぷりに人々は酔いしれた。自身7連勝、鞍上の武豊騎手7週連続重賞勝利の記録をかけて挑んだ平成10年(1998年)の天皇賞(秋)で、まさかこの馬との別れが来るとは誰も思わなかった。悲劇のレースを振り返る。

馬の思うままに走らせて開眼

サイレンススズカが生まれたのは5月と競走馬としては遅く、デビューしたのが4歳(現3歳)の2月1日とかなり遅かった。ただ、このレースで行きっぷりよく先頭に立つと、後続に7馬身差を付けて圧勝した。

次戦は条件戦をすっ飛ばし、皐月賞に出る権利を得るために弥生賞に出走したが、大きく出遅れてしまい惨敗。

クラシック路線に再び乗るために次に選んだのが、自己条件の500万下。このレースを7馬身差で圧勝し、その後プリンシパルステークスを何とか勝って、日本ダービーへ。ただ、そのダービーでは終始引っ掛かってしまい9着に敗れた。

神戸新聞杯2着後はなかなか結果が出なかったが、馬の思うままに行くだけ行かせる大逃げスタイルを確立し、5歳(現4歳)になってから負け知らずの6連勝。

その中には、ステイゴールド、エアグルーブを抑えて勝った宝塚記念(GⅠ)も含まれており、名実ともに現役最強馬に近づいた。

サイレンススズカらしく大逃げを打った天皇賞だったが

迎えた天皇賞(秋)。サイレンススズカの単勝オッズは1.2倍と断トツの1番人気に推された。この日も後続を寄せ付けない大逃げを打って、会場がどっと沸いた。

だが、悲劇が待っていた。後続に10馬身以上の差を付けて、3コーナーを過ぎた所でガクッと体勢を崩し、鞍上の武豊騎手がサイレンススズカにストップをかけたのだ。今までの歓声が悲鳴に変わった瞬間だった。左前脚の手根骨粉砕骨折を発症したため競走を中止したのだ。予後不良とされ、安楽死の処分が取られた。

もし無事ならその後は、ジャパンカップ、翌年は海外遠征に行くプランがあった。天皇賞(秋)の前哨戦、毎日王冠で倒したエルコンドルパサーがこの年のジャパンカップを制覇し、翌年は世界最高峰のフランス凱旋門賞で2着だったのを考えると、サイレンススズカが出ていればどうなっていたのだろう。